VOICE卒業生の声

古閑 君

関西大学環境都市工学部合格古閑 君

就職の報告に訪ねて来てくれた古閑くん。話を聞くうちに、昔の姿からは想像もつかない「なんかすごいことになっているらしい」ということで、改めてインタビューさせていただきました。
(小学校5年生時に入塾 → 高校3年生で卒業 / 芦屋国際中学校・芦屋国際高校を経て関西大学環境都市工学部 → 同理工学研究科修了 → 株式会社キーエンス(開発職)勤務予定)

年度
2018年度
合格校
関西大学環境都市工学部
在籍教室
芦屋校

灘学習院を卒業してから、どんな研究をしていたのか簡単に教えてください

最初は、水と太陽光を使って、水素を作る研究をしていました。研究を始める際に准教授と「とりあえず世界一を目指そうな」という約束をし、水素の発生効率を上げることを目指し、世界最高の太陽光エネルギー変換効率を達成しました。その中で、還元側の水素にばかり着目されているが、酸化側の反応、特に過酸化水素を効率よく生産する方法に着目すると、再生可能エネルギー社会をつくる上での大きなブレイクスルーとなるのではないかと考えました。過酸化水素そのものはクリーンかつ応用力も高いものですが、生成のプロセスが複雑で環境面・コスト面ともに課題を抱えているからです。その当時は、生成そのものには成功していましたが、生成してもすぐに分解され、その分解を抑制する必要がありました。そこで、半導体光電極に塗るものを変えながら実験を続け、酸化剤と水素を同時に作り出す方法として、世界最高効率の数字をたたき出すに至りました。

昔から理系科目が得意だったのですか?

大学入試の時点では物理に興味があり、関西大学環境都市工学部に入学しました。研究室を選ぶにあたって、後に指導教官となる准教授の研究内容に感銘を受け、急遽方針を転換して化学の道に入りました。ただし、大学入学時のセンター試験(当時)の化学の成績は40点台、化学の「か」の字も分かっていない状態から、週に6~7日、朝9時~夜12時まで研究室に通いつめて猛勉強を開始しました。

高校のときは、化学の時間に「とりあえずこれ、覚えてね」と言われて、全く頭に入ってこなかった内容も、大学に入ってから手を動かして実験することで「ほんまにこんな反応するやん!」と、おもしろくなりました。公式がたくさんある化学よりも物理のほうが好きでしたが、大学に入れば化学も物理も同時にやるので、どちらも好きになりました。

その結果、大学入学時にはビリだった成績が、学校の成績と研究の成果で、学部創設以来(約40年来)のトップになりました。自分でもまさか研究で成果を残せるとは思っていなかったので、両親も含めて驚いています。

灘学習院で学んだことで、今に生きていると思うことは?

先日、久しぶりに小学生のときの思考のプリントを見つけてよく見ると、プリントが涙のあとでシワシワで、解けないのが悔しくて泣きながら頑張っていたことを思い出しました。当時、学校レベルの問題は、答えまで出せて〇ももらえるけど、特に記憶にありません。反対に、灘中の過去問は、途中までしか解けないけど、その途中の式を一つ一つ作れたことで「ここまでできた」と自信になりました。

灘学習院の思考のおかげで、実際に自分で手を動かしてああでもない、こうでもない、と諦めずに、わからない問題に向き合うことができるようになったと思います。実際に研究をしていても、光電極を作るときに、いろいろなものを表面に塗っては実験し、ということをずっとやっていました。同級生の中で、もともと成績が優秀な子でも、「これをやってね」という実験のデータをコツコツ集めることはできても、答えのないものをずっと見つめてどう頑張っていいのか分からないという子は早々に研究室に来なくなりました。ぼくは「時間をかけて考えれば、解けない問題はない」ということを知っていたので、頑張れたんだと思います。

小さい頃から粘り強かったのですか?

小学生のころはずっとプラモデル、大学3回生まではずっとギターを触っていました。ギターには全財産をつぎ込んで、エレキギターを組み上げ、はんだ付けをするときの金属や、ねじ1本にまでこだわりました。

昔から「でもさ、でもさ」と自分の考えを曲げない部分がありましたよね

研究室でも、准教授が35歳くらいの方なので、自分の考えを遠慮なくぶつけ、どちらが正しいか延々と議論していました。准教授もそれに付き合ってくださり、夜中の3時までやり取りをしたこともあります。

後輩の中にも、暗記だけの勉強をしてきた子は、「これは正しい」「なんで?」「この論文にそう書いてあったから」という発想になりがちです。でも、解答に疑問を持ち続けていた自分は、「ええ、そんなの間違ってるかもしれへんやん」と常に批判的に考えることができます。

就職したら、今までの研究はどうするのですか?

今の研究は、すべて准教授と後輩が後を引き継いでくれることになっています。研究の成果について、NASAをはじめ、日本のメーカーからも「話を聞かせてほしい」というオファーや、「うちに来ないか」というお話もありましたが、全く新しい分野で自由度の高そうなセンサー関連のメーカーに就職しました。今回採用されたメンバーは、東大・京大をはじめとする一流大学出身者ばかりで、特にプレッシャーを感じず、自由に質問できるのが魅力です。

在塾生にメッセージをお願いします

「諦めずに頑張る、その頑張り方を学んでほしい」と思います。たとえば、受験に合格するためだけに勉強しても、受験が終われば受験勉強の内容は、すべて忘れます。でも、国語の文章の中で出てきた内容や、数少ない知識で解けたという経験上の知識はずっと残ります。そのためには、問題の本質をじっくり考えること、そして自分の手を動かしてなんとか答えを見つけようとすることが大切です。特に、途中式には自信をもってほしい、というより、自分が自信を持てる途中式を書けるようになってほしいと思います。本当に自分が粘って考えぬいた途中式であれば、先生とも対等に戦えます。

また、言われたことだけではなく、ちょっと「遊んで」ほしいと思います。研究室の中でも、言われた実験だけを黙々とこなす人と、言われたこともやりながら、ちょっと傍らで別のことをしている人がいて、そういう人の発想は面白く、新たな発見につながることがあります。算数でいうと、先生の解き方だけではなく、ちょっと別の角度からアプローチをかけてみることです。

諦めずに頑張りさえすれば、昔は本当にぐだぐだだった自分でもここまで来れました。頑張る方法さえ知っていれば、どこからでも取り返せるので、みなさんにもがんばってほしいと思います。